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常石勝義さんは落馬による脳障害と闘い東京パラリンピックを目指す

      2016/08/28

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常石勝義さんは元JRA騎手。デビューの年に落馬をして重症を負う。
常石勝義さんは福永 祐一騎手と同期で1996年にデビュー。
デビューの年に小倉競馬場でのレース中に落馬し、脳挫傷で意識不明になる。
奇跡的に回復して1997年にレースに復帰。復帰した年に 落馬事故にあった小倉競馬場の小倉3歳ステークスで タケイチケントウに騎乗し重賞初勝利を挙げた。

2004年同じ小倉競馬場で再び落馬
脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋内血腫で意識不明の重体となるが昏睡療法で1ヶ月で意識を回復した。復帰を夢見て リハビリ、トレーニングに励んだが 脳外傷が原因で高次脳機能障害と診断され、復帰を断念した。2007年2月24日 阪神競馬場で引退式が行われた。JRA通算82勝。

常石勝義さんは 東京パラリンピックへの出場を目指している。
2度の落馬で後遺症の高次脳機能障害が残り、左半身がうまく動かない。
「もう一度、大好きな馬と大舞台に立ちたい」と闘っている常石勝義さんに チャンスが到来した。
2020年に開かれる東京パラリンピックへの挑戦だ。出場を目指し、馬術競技の訓練に励んでいる。
脳に大きな損傷を受けて意識不明の状態が続いたときに話しかけても反応がなかったが、ラジオの競馬中継を聞かせると体が反応し、ムチを持たせるとしっかりと握り、クルクルと回したそうです。家族は絶対回復すると信じていたそうです。「馬に乗りたいんだ」と、家族は回復を信じた。

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1カ月後に意識を取り戻した。だが、今回は高次脳機能障害が残った。直近のことが覚えられず、集中力や注意力が長続きしない。左半身をうまく動かせず、左側の空間を認識できない症状もあった。復帰を目指したが、判断力が低下した上、左側が分からず競走馬を制御できない。19年2月に引退した。

しかし、競馬は無理でも-と馬術競技に取り組み始めた。障害のため馬にスムーズに指示を伝えられず、当初はコースをなかなか覚えられなかったが、練習を重ねて技術を磨いた。昨年10月には、全国障がい者馬術大会の馬場馬術で準優勝を成し遂げた。

この年の9月、東京五輪とパラリンピックの開催が決まった。ニュースを知って、現役時代、大レースで勝ったときの競馬場の歓声と拍手が脳裏に蘇った。全国障がい者馬術大会でまだ果たしていない「優勝」も今の生活の励みだったが、「もう一度、大舞台に立ちたい」と、世界を相手にするパラリンピック出場を新たな目標に据えた。今年から、障害者乗馬の専門指導員のもとで本格的な指導を受ける予定だ。

常石さんは現在、兵庫県明石市の乗馬クラブで訓練に励むとともに、高次脳機能障害への理解を訴える講演活動も行っている。障害のために起こる自身の失敗談を笑いを交えて語る。講演の最後には必ず、童謡「あめふり」の替え歌を披露する。

♪ピンチピンチ、チャンスチャンス、ランランラン-。

「障害があっても生きていける。だから辛いことがあっても夢はあきらめたらあかん」。
ピンチを乗り越えた今、2020年のチャンスを見据えて訓練を続けていく。

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